院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


息子の背中

 

今年のツール・ド・フランスはランス・アームストロングの七連覇で幕を閉じた。ツール・ド・フランスとは、プロ自転車レースのひとつで、オリンピック、サッカーのワールドカップと並んで世界三大スポーツイベントとも言われる。フランスの美しい田園風景や歴史の重みを感じる街並みを舞台にした熱い戦いに、三週間釘付けになった。途中から観るようになった中一の息子に、ツールの歴史やレースのルール、はては選手の特性、レースにまつわる珠玉の逸話等々を話してきかせた。父と息子の微笑ましい夏の宵であった。

 さて私の趣味として自転車を取り上げるのには少し引け目を感じる。公言して憚らない趣味となりえるのか自信がないのだ。私らしくもないと思う。理由は二つ。小声で言う。まず、自分の体力の限界。はたして四十なかばの手習いごときで、ロードバイクを颯爽と乗りこなせるのか?ということ。次に、押し出しの利くロードバイクの値段は安いものでン十万。細君の牙城を崩すには並大抵の努力ではまず無理。「安いものを買って、そこそこ楽しめばいいじゃない?」と細君と同じようなことを言うなかれ、それは私の美学に反するのだ。大人の趣味としての新車購入&自転車ライフに今もなお逡巡している今日この頃である。そもそも今を去ること八年前、私はマウンテンバイクに嵌ったことがある。しかし近くの公園で落車し、右の肩鎖関節脱臼を受傷。細君と子供たちの懇願もあって、自転車を降りた。愛車のマウンテンバイクは雨ざらしとなり、忘れ去られた。そんな自転車への思いが再燃したのは、つい三ヶ月前。息子の自転車購入がきっかけであった。買い与えた自転車はフラットバー・ロードバイク(四万円程度)。通常ロードバイクはドロップハンドルなのだが、これはマウンテンバイクのようにフラットで、したがってポジションも楽だ。タイヤは27インチ径でロードとしては太目の28Cを履く。重量は10kgそこそこ。初心者ならこのくらいで十分じゃないの?と言いながら乗せてもらうと、これが実に良く走る。旧世代のマウンテンバイクしか知らない私にはまるでカルチャーショック。平坦な道で追い風なら50km/hくらいは出る。風をきって疾走すると、翼を得た天使のように心が自由になる。自転車を降りる頃には、「私も買うかも〜」モードに突入していたのだ。

 自宅周辺を嬉々として乗り回していた息子だが、ある日ツーリングがしたいと言い出した。昨今の道路交通事情、ひとりで行けとも言えず、しかたなく同行することにした。私は雨ざらしのマウンテンバイクを急遽整備することにした。錆び落としに約一週間かかった。オフロードタイヤをスリックタイヤに履き換え、パッドを替えてブレーキを調整。幸い古き良きカンティブレーキはまだまだ使えた。問題はディレイラー(変速機)だ。後輪の八段はどうにか変速するが、スムーズでなく、頻回に二段飛びになる。これは運用の仕方でごまかすしかない。前のギアは三枚あるのだが、ディレイラーがいかれていてどう調整しても二枚分しか変速できない。ミドルとアウター(ギアはやや重いが平地で速く走れる)の組み合わせか、ミドルとインナー(平地では遅いが、坂道は楽)の組み合わせのどちらかを選ばざるを得ない。しかし私は迷わなかった。自転車を駆る私自身のイメージはライバルを置き去りにする熱い走り、マイヨジョーヌを着たランス・アームストロングそのものだったから。当然のようにディレイラーをミドルとアウターに振った。この判断ミスが後々私を窮地に追い込むとは、この時点では知る由もなかった。

 自宅を出て勢い良く坂道を下ると、あとは県道のフラットな道を行く。押し入れから引っ張り出した自転車用のヘルメットと派手なサングラス。ショーウィンドウに映る姿を見てつぶやく。「似合っている・・・」。ぴちぴちのレーサーパンツはちょっと気恥ずかしいが、六年ぶりのライディングスタイルはまずまずだ。ケイデンス(クランクの回転数)を90に保って、後をみると、息子は遅れ気味だ。脇を過ぎて行く車が怖いらしい。私は速度を緩め安全な走り方や、前を走る自転車を風よけとするドラフティングのテクニックなどを教えながら、お気軽サイクリングを楽しんだ。しかし最後の最後に難関が待ち構えていた。スタートで勢い良く下った坂道は、当然帰りのコースでは急な上り坂になるという道理に、いまさらながらあわてたのは、残りのギアがあと一枚となった時。元来私は上り坂が嫌いだ(+_+)。平坦が好き(^o^)。下り坂だともっといい(*^^*)。しかしレースを見る分には、断然上り坂。山岳ステージが面白い。体力を残したり使い切ったりしながら、己の限界を見極め、常に最適なギアを選びつつ、迫り来るいくつもの峠をクリアしていく。自分との葛藤、敵との駆け引き。まるで人生そのものではないか。まてまて、今はそういうことを考えている場合ではない。目の前の坂をどうにかしなくては。最後のギアを使い切った時、私は勝負に出た。ダンシングだ。ダンシングとは腰をサドルから浮かせてえっちらほっちら漕ぐあれである。ペダルに立ち上がろうとして私は愕然とした。大腿四頭筋がへたれて、立ち上がれないのだ。後ろをチラッとみると息子がこともなげについて来ている。私は右手を後ろから前に振り、先に行けと合図を送った。息子は軽やかにダンシングをしながら私の脇を抜けて行く。言い訳はいくらでもある。常に前を走り風除けになったこと。ディレイラーが最悪で変速のショックが筋疲労を倍加。クロモリフレームの自転車は14kgもある。でも所詮は言い訳に過ぎない。すれ違いざま息子が声をかけてきた。「お父さん、頑張って」。さわやかな風が吹き抜けた。まだ、か細い息子の背中が頼もしく思えた。嗚呼、その時の感情をどう表現したらいいのだろうか?悔しくて、そしてうれしくて胸がつまった。ばかやろうと言おうとしたのか、ありがとうと言おうとしたのか、自分自身を見つめるゆとりもなく、大切な言葉をひとつ飲み込むと、不覚にも涙声になって「おう」と答えた。しかし私は再びペダルを踏む足に力を込めた。まだ息子の背中なんざ眺めてはいられない。見る間に距離を詰めて横に並んだときに、我が家に着いた。梅雨空は低く垂れ込めていたが、雲間から覗く青空がすがすがしい夏の訪れを告げていた。


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